2015年9月1日火曜日

わが命つきるとも

№461
私は特段信仰心など持たない、むしろ宗教に対しては猜疑心すら持っているの

だが、もしもあるとするならばごく日本的な、多神教かアニミズム的な自然崇拝的な

何かだろう。大地と自然に敬意を払い、ご先祖様に感謝し、我が国のために末席

ながら尽くしていきたい、そういう信念ならばある。

ただ、生まれも時代も信ずるところも違えど、この人の妥協しない生き様には共鳴する。

こういうのは「殉教」とも「殉職」とも違うと思うが今適切な言葉が見当たらない。

他には古代支那の伯夷・叔斉が思い浮かぶ。

我が国で言えば、山口良忠さん外の方々や、名前は忘れたけど軍部の専横に

官吏としての筋を通して屈せず、おそらくは暗殺されたのであろう某氏などだ。

こうした方々の場合は広義の「殉職」であると言って差し支えないだろう。

単に融通が利かないだけかもしれない。「空気が読めない」故かもしれない。

だが、そんな水を低いほうへ低いほうへ押し流し、ただ堕落や滅びを招来するだけの

因循姑息な「妥協」など糞喰らえだ。

私はあきらめない。たとえ最後の一人になろうとも。




宇宙戦艦ヤマト
沖田十三

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