小学校の中学年頃から「宇宙戦艦ヤマト」に端を発する松本零士ブームが起きた。
実は、前に触れた999も本作も、TVアニメーション化される前から、同級生I君
(彼の兄が大学生くらいで、色々とコミックを揃えていた)の影響で貪るように読
んでいた。
ただ、wikiにも記載されてるように、ヤマト(冒険王)、999(少年キング)のような
少年誌連載ではなく、プレイコミックという青年誌への連載だったので、小学生
には手が出せず、秋田書店の「大長編SFコミックス」の発売を心待ちにしていた
ものだ。ヤマトブームより少し前になると思うけれど、3年まで通っていた学童保育
所に、何故か「週刊少年マガジン」が一冊だけ置いてあって、そこに「ワダチ」の
東京が立ち退きだらけの廃墟になる話が掲載されていたのを覚えている。後
年コミックになったものを読んで、これってSFだったんだと仰天した。さて基本的
には万人がご承知のとおり、森雪もメーテルも、氏の描く女性キャラは同一人
である。髪の長さとか色(大抵塗らないか黒髪をベタ)で分けてるくらい(あだち
某さんとかもそうか)。今に至るまでこの美女像を確立している。でも、当時は
まだ「愛と誠」のような熱血ドロドロ劇画が主流だったので、子供心には氏のな
にか頼りなさげな終末的な画風作風には違和感を感じたものだ。
しかし現金なものでブーム時には氏の諸作品にドップリハマった。男おいどん
も全9巻買い揃えた。戦場まんがシリーズも読んだ。アダルティな作品群にもこっ
そりチャレンジした;
模写もいっぱいした。ヤマトの船首部分(波動砲のあたり)は今でもソラで描けると
思う。艦橋部分はちょっと怪しい; ついでに初代ガンダムとザクもいける。
話が逸れてしまった。タイトルの話だが、まずもって自分たち(クラスの男子?)
は、原作漫画至上主義で、TVアニメは、まあ付き合い的に観ているようなもの
だった(エラそうに;)。実際、御大独特の世界観と画風は、TVの稚拙な作画と
ストーリーの尺を持たせるためであろう改悪などで劣化して見えた。特にTV版
の999は回を追うごとに酷くなっていったように記憶している。それに比較すると
本作はだいぶマシだったのではないかと思う。原作にない玩具化前提の親子メカ
が登場したり、TVオリジナルの「まゆ」というキャラクター絡みの話が冗長に感
じたりとかもあったが、原作のイメージは辛うじて保っていたと思う。尤も、原作
自体も御大十八番の「大風呂敷を広げるだけ広げて尻切れトンボ」で終わった
ので、一応結末をきちっと着けたTV版のスタッフは褒められるべきかなとも感
じる。
主題歌、OPについてこの齢になって初めて理解出来たフレーズがある。「命を
捨てて俺は生きる」と結ぶ一番の〆の部分、ずっと「命を捨てた」のに「生きる」
のはおかしいじゃないかと子供心に感じていたのだが、今は逆説的にしっくり
くるのだ。「わが命、我が物と思わず」といった台詞が何からだったかは忘れたが
(←ググったら大江戸捜査網の隠密同心心得之条だった)
それに近い感覚か。もっと言えば「生きてはいるけど死んでいるような状態」も
あれば、「死してなお人々の心に生き続ける」こともあり得るのだと知った。
上記の歌の言い回しは、元は仏教用語だけど「不惜身命」が近いのかも。
あと、劇場版の999に客演したハーロックの台詞に
という有名なものがあるが、当時は似たようなフレーズが濫用され過ぎて
(多くは御大自身による)、念仏のように聞き流してしまっていたが、
今となってはこの言葉の重さが心にずしりと圧し掛かる。
EDもいい。原作の第1巻中盤あたりでアルカディア号への乗艦を決めた台場に
対してハーロックが語りかけているような歌詞がいい。
「君が気に入ったなら、この船に乗れ いつかなくした夢がここにだけ生きてる」
「君が生きるためならこの船に乗れ いつかなくした夢がここにだけ生きてる」
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