№0038
無印、GともOP曲は同じ、EDはそれぞれ(無印、G)、動画と相俟って、いずれも不朽の名曲と言える。劇中BGMも素晴らしい。そして!肝心の中身はという
と...大人になってCSで見直した同作は私の得意の思い出補正を持ってして
も厳しい内容だった。一例を挙げれば、左腕が破損したゲッター1の壊れ口か
らムサシがコクピットに乗り込むシーンとか、もうそれだけで無理;そもそも元々
の合体変形が好意的に言えばモーフィングというか要は無茶苦茶なんだけど、
当時はそんな瑣末なこと?は気にせずに夢中で観ていたのだ。
後発の、まあ玩具で再現可能なコン・バトラーVとか、リアルロボットの始祖とも言える
ガンダムと、放送時期が数年しか変わらないのも驚きと言えば言える。
でも、今回主に触れたいのは、そのコミカライズについてである。
ご承知のご同輩も多いと思われるが、これほどTV番組(フジテレビ)と連載漫
画(週刊少年サンデー)の乖離(イメージギャップ)が激しい作品も珍しいのでは
ないかと。...いやいや前言即時撤回;デビルマンもキカイダーもミクロイドS
も、対象年齢層に大きな開きはあったのだろう。ペシミズム?残虐性?放送コ
ード?何にせよ当時の学童は、TVと同じ展開を期待しつつ誌面を開いて吃驚
仰天、そして虎馬という流れを味わったのだ(半ば断定)。当時私の中では、こ
れが子供と大人(中学生以上?)の違いなのかと妙に納得しながら、恐る恐る
覗いた世界だった。
病院の待合室で読んだ、エネルギーを無限に吸収するメカザウルス(と言うか
巨大クラゲ)に、何故か学ラン姿の早乙女博士(TVと別人の見るからにキ●ガ
イ)が、ゲッターへ「一切攻撃するな!」と、理解不能な司令を出す話、床屋で
読んだ、帝王ゴールがゲッターの幽霊に襲われる話、どこで読んだか忘れたけ
ど、隼人が従兄弟の学生活動家に拉致されて百鬼獣の頭部に組み込まれる
話など、後で通してみればそれなりに納得できる?筋道なのだが、学年誌の一
話完結スタイルに慣れた小学校低学年にはヘビー過ぎて、「同じ登場人物でも
こんなに一筋縄でいかない世界に変わるのが大人の世界なのか?」と自分で
無理矢理納得させたりしていた。でも、これは、故 石川賢 御大固有の持ち味
と、当時の少年サンデー編集者の嗜好と、背景となった当時の世相とが合わさ
って醸し出されたモノで、作ろうと思って後追い出来るものでもないとは思う(後
年書下ろされた氏のゲッター関係の書下ろし作品群には、当時の毒や狂気が
欠けているというか予定調和的に感じる←除ゲッターロボ號)。もちろんオリジ
ナルの作品も無欠ではないと言うか細かい部分では多々破綻していると思う
のだが、そうしたアラを補って余りあるパワー、勢いがあるのが、コミック版「ゲ
ッターロボ」なのである(断言)
そもそも本来低年齢児対象の作品であるべきなのに、何故かR指定的なミスマ
ッチは前身である?週刊少年サンデー版「ウルトラマンタロウ」にもその傾向が
著しく見られる。その是非について議論はあろうと思うが、今の私は少年の通
過儀礼的な存在として肯定の立場をとりたい。
もう一人、ダイナミックプロ関係で忘れてはならない重要人物に“偉大な勇者”
「桜多吾作」大先生がおられるが、こちらについてはまたの機会に。
見ずに描く①
見ずに描く②
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